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〜大磯駅前の通称岩崎山と言われる丘に立つキリシタン資料の澤田美喜記念館〜


〒255-0003 神奈川県中郡大磯町大磯1152
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TEL.0463-61-4888

 所蔵品 展示品

 キリシタンコレクション概略 


  キリシタンとは?

今から400年前、日本には1614年、徳川家康によって禁教令がだされ、250年位の間、キリスト教を信仰してはいけない時代がありました。さらに、1614年以前の豊臣秀吉の頃から禁教されていた事実があります。この時期の二百数十年くらいを禁教時代と呼んでいます。
 禁教前そして禁教後、キリスト教を信仰していた人達を“キリシタン”と呼んでいます。
     

  キリシタン遺物とは?

キリシタンが信仰の対象として持っていた物をキリシタン遺物あるいはキリシタンコレクションといいます。この遺物が時代の変化に翻弄されて散逸していくことを憂えた澤田美喜は、散逸を避けるため自ら長崎県五島列島や熊本県天草地方などを回って遺物を蒐集しました。そのいくつかをご紹介しましょう。

  「紙の踏み絵とその版木」

      

「踏絵とは?」   江戸幕府が当時禁止していたキリスト教の信者を発見するために使用した「道具」のことです。 「絵踏とは?」   踏絵を踏ませる「行為」を、絵踏と言います。 「踏絵のはじまりは?」   禁教令が出された後、江戸幕府は、キリスト教弾圧を強めるようになり、信者発見のため、寛永3年(1626)に長崎奉行になった水野河内守守信(みずのかわちのかみもりのぶ)によって始められたとされています。
 最初、踏み絵は文字通り“絵”で、紙にイエス・キリストや聖母マリアが描かれたものを利用していましたが、踏むと破れたり、汚れたりと損傷が激しいため、木製や金属製の板にイエスや聖母マリアが彫られたものを利用するようになりました。
 記念館に掲示された額に入っている踏絵は日本最古と伝えられる踏絵(母子像)で、大阪の高槻で発見されたものです。禁教前に海外で製作されたとされ、最初壁掛けとして作られ、祈りの対象だったと言われています。その後、キリシタン弾圧のための道具として、この木製の版木の上に和紙をのせその上から墨でたたいて「踏絵」を作ったのです。

  「キリシタン武士の刀の鍔(つば)」

      

「キリシタン武士の刀の鍔の禁教前は?」   キリシタン鍔は、大きく分類するとキリスト教が自由に信仰されていた時期と、禁止された後に分けることができます。室町時代中期から末期にかけて、信仰することに何の不安も問題もなかった禁教前の時期は、刀に着ける鍔はそれ自体が十字架の形をしていたり「私はキリストの信者である」と、誇るかのように大胆に大きく十字の紋を鍔の中に取り入れて表現しています。
 現存するキリシタン鍔の数の多さから、当時キリスト教を信仰していた武士が数多くいたことが推察されます。もしかすると、信者ではない武士達も十字架の目新しさや、デザインの面白さから十字を取り入れた鍔を着けていたことがあるかもしれません。

 「キリシタン武士の刀の鍔の禁教後は?」   二十六聖人の殉教などがあった桃山時代になると、次第にキリスト教への弾圧の度合いが増していき、やがて江戸時代になるとキリスト教を信じることは禁止され、禁教の時代へと入っていきます。そして、キリストの象徴としての十字は目立たないように、鍔のデザインの中に溶け込むように隠すようになりました。
 「隠れキリシタン鍔」といわれているものはすべて注文品で、注文を受け入れた鍔の工人もまた、同じように隠れキリシタンであったと思われます。そうでなければ、禁教の時代に「ここに十字の紋章をデザインしてほしい」などといった注文はできるはずもありません。
 刀というものは武士の象徴として存在し、また武士ではなくても大町人などが、先祖の伝来品などと称して所持している場合においても一定の尊厳を持って扱われ、キリシタンを宗門改めさせる役人に簡単には調べられないはずだといった安心感があったと推測できます。また、身分のある町人であれば、脇差を所持することができました。現存する隠れキリシタン鍔に脇差用の物が多く見られるのは、町人身分の隠れキリシタンも多かったことを示唆しています。ここをクリックすると、澤田美喜記念館の「刀の鍔」の発見を報道した2016年5月10日付けの朝日新聞の記事が表示されます。

  「キリシタン魔鏡」

      

「鏡が出現したのはいつごろから?」   世界で最初に作られたとされる最古の鏡は、トルコ中部の遺跡で発見された6000年前のものです。日本をはじめアジアの国々の鏡はすべて中国で作られた鏡に起源があるとされ、約4000年ほど前に、呪具の青銅鏡が作られのが最初だと言われます。鏡には神聖な霊力が宿るとさていたので、昔から鏡は世界中で大切なものとされてきたのです。
 「鏡は何に使われていたのでしょうか?」   鏡が最初に作られた時代は、祭りやまじないに使われる道具でした。また日本では、「信仰の対象」でもあったのです。
 「三種の神器 (剣・勾玉・鏡)」   日本では弥生時代から、鏡・剣・玉を権威の象徴とする風習が一般的にありました。記紀神話には三種の神宝とする伝承があったので、9世紀ころにはすでに三種の神器説が定着していました。現代でも鏡は、伊勢神宮の内宮に天照大神の御霊代(ミタマシロ)として祀られています。
 「魔鏡( Kakure Kirishitan Makyo )について」   魔鏡といっても、ちょっと見た感じだけでは、どこから見ても普通の銅鏡と変わりがありません。でも、この鏡にいったん光を当ててみるとどうでしょう。表側の鏡面への光の当て方と角度によって、鏡面を反射した光を映した壁に、なんとくっきりとキリスト像が映し出されるのです。簡単には見つからないように工夫された仕組みで作られ、必要な時にだけ鏡に光を当て、出現したキリスト像を密かに拝んでいたのです。
 この鏡を制作した技術力の高さに感心します。また、キリスト像を投影してそれを拝んでミサを行っていた、当時の人々の「信仰の深さ」にも圧倒されます。この篤い信仰心こそ、来日したローマ教皇フランシスコが、かつて世界中の信徒に向かって、「日本のキリシタンを模範とせよ」と言われた所以ではないでしょうか。
 澤田美喜記念館にある魔鏡は、江戸末期の鏡と思われます。すなわち、160〜170年前の時代と推定されています。この種の魔鏡は、日本に2枚しか現存していません。その1枚がここ澤田美喜記念館に有り、もう1枚が福岡市の西南学院大学博物館に所蔵されています。

 「本物の魔鏡とその正確なレプリカの制作」   澤田美喜記念館には、本物の魔鏡だけでなく、その正確なレプリカが展示されています。このレプリカは、その方面の第一人者である京都の山本合金製作所の三代目山本凰龍(こうりゅう)氏が、1987年に製作したものです。山本氏は当時3枚製作し、そのうちの1枚がローマ教皇ヨハネ・パウロ二世に献上され、澤田美喜記念館も1枚を所有しているのです。
 また、2014年に4代目山本富士夫氏が製作した魔鏡が、当時の安倍首相からローマ法王に贈呈されています。現在の5代目山本晃久氏も魔鏡を制作していますが、残念なことに後継者がいまだ現れず、このままでは絶滅職人となると危惧され、貴重な伝統技術が絶えることが心配されています。

 「魔鏡の作り方」   通常、和鏡を加工して魔鏡にするためには、まず「やすり」や「せん」という道具を使い、鏡面を1mmまで薄くしていきます。そして、わずかに凸面になった鏡面と凹面になった鏡面とで光の反射が違うことを利用して、そのわずかな反射の違いによって模様を形作るようになっています。 ここをクリックすると、作り方の概念図が表示されます。

「ご聖体の連祷と黙想の図」(十五玄義図)

      



「料紙調査と放射性炭素を用いた年代測定」   澤田美喜記念館で2018年に発見された巻子(巻物)は、「ご聖体の連祷と黙想の図」と名付けられ、料紙調査と放射性炭素を用いた年代測定をした専門家によって、1556〜1633年という結果が出ました。長さ320センチ、幅22センチの薄手の和紙に、墨で文字と絵が描かれた巻物で、現代でも教会で唱えられている連祷(ご聖体の連祷)が仮名文字で書かれています。中央部分には、「受胎告知」や「受難」や「聖母の戴冠」など、マリアとキリストの生涯を伝える15の場面(黙想の図)が描かれています。
 「御出世以来千五百九十二年 はうろ」   「御出世以来千五百九十二年 はうろ」と書かれ、1592年に「パウロ」という洗礼名の信者が制作したとみられます。東京大学は、イエズス会の日本人修道士の中で三本の指に入る、「良印パウロ」だと考えています。外国人宣教師と大阪や京都で布教に当たった「良印パウロ」は、説教が巧みで常に宣教師と行動をともにしていたようです。これまで発見された京都大学所蔵の他の「マリア十五玄義図」よりだいぶ古いと考えられています。たとえば、「黙想の図」に描かれた兵士は、日本刀と見られる刀1本を、鞘尻が上向きになるように帯刀しています。江戸時代(1603年〜)であれば、大小2本の刀を鞘尻が下向きになるように帯刀しているはずだからです。そうした特徴も、末尾に記載された1592年の正しさを示唆していると言われています。

      

「キリシタン禁制高札(こうさつ)」

      



「高札(こうさつ)とは?」   高札(こうさつ)とは、政府の公式令で命令下達の文書である「官符」の内容を、民衆に告知する指示を書いたもの。 全国各地の村々の高札場に掲げられ、村人たちに周知する権威ある情報伝達の場でした。高札は以前からありましたが、キリシタン禁制高札が現れるのは、慶長19年(1614年)、幕府が出したキリスト教禁教令以降です。
 「八枚のキリシタン禁制高札を所蔵」   社会福祉法人エリザベス・サンダース・ホーム澤田美喜記念館は、八枚のキリシタン禁制高札を所蔵しています。当館所蔵の高札は、寛永六年(1629年)から慶應四年(1869年)の年代で、形には、長角形・家型と家型に屋根付きがあります。大きいものには、高さ40センチ、幅90.5センチの木製札があります。保存状態には、文字が鮮明ではっきり読める高札が三枚見られます。


information店舗情報


澤田美喜記念館  (キリシタン資料館)

〒255-0003
神奈川県中郡大磯町大磯1152
→アクセス
TEL.0463-61-4888
開館時間:10時〜16時
休館日 :月曜日 年末年始      

<入館料>
 
●一般:800円

●団体:700円
    電話予約15名様以上

●高校生・大学生:700円

●65歳以上:700円

●中学生以下:無料

●障がい者手帳保持者:無料




<記念館パンフレット>

 
画像をクリックしていただきますと
パンフレットが拡大表示されます。

 


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庭につつじが咲きました。椿も一輪。
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沿道にもかわいいお花が咲いてます。
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入り口近くの塀に沿って咲く可愛いお花たち
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正門から入って、階段を上ったところ、ここにもチューリップが咲いてます
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記念館の前のチューリップ
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